「地方の交通問題」に反応して

「地方はどうにもならないよ」という一文に反応してみます。どうにかなるんじゃないかという一念からです。

まず、地方の老人が自ら公共交通機関を捨てたのかという問題。

歴史的な整合性とか、公共交通機関とマイカーの普及の経緯みたいなものは置いておいて。
地方という条件で開業した公共交通機関は、もともと「採算性の低いビジネスモデル」だったのではないかと思います。


もともと地方都市は大都市圏に比べて、人口が少なかった。その中で公共交通機関は採算性を確保する必要があった。
そのため、たとえばバスなら一日の利用者想定とか、一台あたりの利益率とかをぎりぎりに抑えたうえ、自治体からの補助金で運営資金を賄っていくようなビジネスモデルを採用したんだと思います。

そのようなビジネスモデルの場合、マイカーが普及して地方都市が周辺部に拡大していく中で、それに併せてビジネスを拡大するための原資を捻出することが難しかったのではないかと思います。

そうすると、公共交通機関は地方都市部の拡大に合った利便性の提供が出来なかったために、マイカー利用の市民から「見捨てられていった」ということではないでしょうか。

つまり、地方都市の人たちが公共交通機関を自ら壊滅させていったのではなく、地方都市部の発展に対して、公共交通機関が見合った利便性を提供できなかったということじゃないかと僕は考えます。


では、公共交通機関が衰退していく中で、本当に地方都市では「どんな取り組みも失敗する宿命にある」のか。

先に書けば、そんなことはもちろんありません。


まず、地方都市の発展という意味では、公共交通機関の発達は重要なファクターではないと思われます。
高齢者の利便性を公共交通機関で確保することと、地方都市を活性化させることは、議論としては別の問題です。


地方都市は、マイカーを前提に、周辺部に拡大していっているところもたくさんあります。郊外の大型店には広大な駐車場が用意されていて、そこには車がぎっしり駐車していて活況を呈していたりします。


地方都市の発展という意味では、車ありき、さらに地域産業の活性化や地産地消といったテーマを元に雇用を創出し、若い力を最大限に発揮させて活用していくことが必要だと僕は考えます。


高齢者に関しては、福祉の問題として捉えるか、もしくはニッチなニーズの産業として捉えるか、その両者を融合させるかすることで、小回りの利く公共交通機関を用意することで、これまでの公共交通機関を代替できます。

地方の人がクルマ依存の生活を、あらためることができない限り、どんな取り組みも失敗する宿命にある。地方は、どうにもならないよ。